兵隊さんはそれぞれの郷里へ

兵隊さんはそれぞれの郷里へ


兵隊さんはそれぞれの郷里へ

「コレラ」が終わってみんな船を降り始めました。

そしてそれ祖ぞれの肉親のまつ郷里へ帰りました。

一人1000円持ってきてよかったお金は母に、こんなに帰えるのにいらないらと
500円づつ皆さん返していったそうです。

そして私たちも父の郷里富山県立山町の郷里へ
帰りました。

その夜おばあちゃんの家で食べた「白いご飯で握ってくれた、
塩おにぎりの美味しかったのは長名心に今も覚えています。

満州は「あわ」ごはんでした。

昔は庄屋さんだったとか聞いています、
総本家です。

周りには沢山の分家があります。

下段という駅で降りて、総本家と聞けばすぐわかります。

私はその小学校へ二学期から通い始めたと思います。

いじめにあいました。

一人優しい男の子がいつも助けてくれました。

母は、本家は広いのですが「23お部屋がありましたが

気が楽ということで、蔵住まわせてもらいました。

蔵の横には「馬小屋」「豚小屋」「鳥小屋」がありました。

そしてトイレは外なのです。
お風呂はまさに五右衛門ぶろ。

そうして一年暮らし、父は弟が大工の統領でしたので
本家の廃材で、富山市に家を建てました、というか立ててもらったのですね。

そこで私は小学校へ転向しました。

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そのころの日本の物価は「傘が」1000円したそうです。

一回り上の姉は学校の先生でしたが、先生に復帰するために満州に
いた学校の校長先生「高橋さん」を引き揚げ名簿などから探し、やっと見つけ、証明してもらい

富山の田舎の小学校へ復帰しました。

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